2008年07月08日
おじいさんと私
大学3年の夏、私は単身長崎へと向かった。ある1人の老人を捜しに行くためだ。
名も知らないその老人とは高校の修学旅行で出会った。
その出会いは、長崎市内の名所である“片足鳥居”の前。
片足鳥居とは、一本柱鳥居ともいわれる山王神社の鳥居のこと。
被爆によって片方の柱が失われながら、もう1本の柱だけでいまなお立ち続けている。
その鳥居の近所に住んでいた老人は市内を観光する私たちを捕まえた。
おそらく若者に戦争体験を知ってもらいたかったのだろうか、家から写真を持ち出して一所懸命に昔の記憶を語ってくれた。
しかし、高校生の私には戦争の話よりも自由時間の残り時間が重要だった。
いま思えばあさはかだが、それはバンタンキャリアスクールのメンバーにとっても同じだったようだ。
「もう時間がないから」と話を遮り逃げるように立ち去ろうとした。
すると、老人はいった。
「少ししか話ができなかったけれど、たくさんの人にいまの話を伝えてほしい」
――思いがつまったこの言葉が忘れられず、それは年々重みが増していった。
そして戦後60周年を期に、今度こそちゃんと話を聞きにいくことを決意した。
そして長崎で3日間、名前は分からず顔もおぼろげな中で、わずかな手掛かりをもとに聞き
込みをした。
最終的には再会を果たすことができた。
当然、相手は私のことを覚えているはずもなく、不審者がたずねてきたと思っただろう。
しかし4年前の出会いと、再度話を聞かせて欲しいという思いを伝えたところ、とても喜んでもらえた。
そしてていねいに話を聞かせてくれた。
反戦への思いと、人を大切にする気持ちが詰まった話だった。
これがきっかけで、私は記者になりたいと思うようになった。
“伝えたい思い”を持っているのにその“すべ”を持たない人がたくさんいる。
記者に限らずとも、そんな人の手伝いをしたい。
現状の私にはまったくスキルもなく、修行を積まねばならない状態だ。
いつかそのおじいさんのところにあらためて取材へ行ける日がくるように、頑張らねばならん! と思う日々なのであった
名も知らないその老人とは高校の修学旅行で出会った。
その出会いは、長崎市内の名所である“片足鳥居”の前。
片足鳥居とは、一本柱鳥居ともいわれる山王神社の鳥居のこと。
被爆によって片方の柱が失われながら、もう1本の柱だけでいまなお立ち続けている。
その鳥居の近所に住んでいた老人は市内を観光する私たちを捕まえた。
おそらく若者に戦争体験を知ってもらいたかったのだろうか、家から写真を持ち出して一所懸命に昔の記憶を語ってくれた。
しかし、高校生の私には戦争の話よりも自由時間の残り時間が重要だった。
いま思えばあさはかだが、それはバンタンキャリアスクールのメンバーにとっても同じだったようだ。
「もう時間がないから」と話を遮り逃げるように立ち去ろうとした。
すると、老人はいった。
「少ししか話ができなかったけれど、たくさんの人にいまの話を伝えてほしい」
――思いがつまったこの言葉が忘れられず、それは年々重みが増していった。
そして戦後60周年を期に、今度こそちゃんと話を聞きにいくことを決意した。
そして長崎で3日間、名前は分からず顔もおぼろげな中で、わずかな手掛かりをもとに聞き
込みをした。
最終的には再会を果たすことができた。
当然、相手は私のことを覚えているはずもなく、不審者がたずねてきたと思っただろう。
しかし4年前の出会いと、再度話を聞かせて欲しいという思いを伝えたところ、とても喜んでもらえた。
そしてていねいに話を聞かせてくれた。
反戦への思いと、人を大切にする気持ちが詰まった話だった。
これがきっかけで、私は記者になりたいと思うようになった。
“伝えたい思い”を持っているのにその“すべ”を持たない人がたくさんいる。
記者に限らずとも、そんな人の手伝いをしたい。
現状の私にはまったくスキルもなく、修行を積まねばならない状態だ。
いつかそのおじいさんのところにあらためて取材へ行ける日がくるように、頑張らねばならん! と思う日々なのであった
Posted by もーもー at
12:55
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